繁さんが突然ハナマウイにやって来ました。
(まあ突然といってもスタッフさんのお名前で予約は入れてくれていたのだけれど)
来ると思ってなかったので流石にびっくりしたけど、とても嬉しかった。
ハナマウイオーナー宮とくるり繁さん佐藤さんは大学時代の音楽サークル「ロックコミューン」で同じサークルでした。
当時は企画バンドで一緒にバンドしたり、ライブ観に行った後飲んだり。
そういえば二人とはIMPホールってところにthee michele gun elephant観に行ったりしたな。
あとFUJI ROCK一年目が僕の実家がある山梨県で開かれることになり、
サークルの20人くらいのひとがうちの狭い家に泊まって朝方まで馬鹿騒ぎ、
その後台風直撃で死にそうになったりとか、18年くらい前の話なんだけど今でも鮮明に覚えてます。
(18切符で電車で行ったので繁さんはずっと僕に通りがかる電車の説明をしてくれていたけど、全然わからんかったw)
繁さんは制作の為にスタジオに篭りたかった様でハナマウイを予約してくれたのですが、
すぐにめどがついたとのことでそのまま一緒に西院の居酒屋さんに。
そこであいつは何してるのか?とか誰々に最近会いました??
とかをお互い話して、俺が知らなかったサークルの友人達の面白い裏話も聞けて笑いすぎて頭が痛かった笑
そして昨日は同じくロックコミューン出身、ママスタジヲというバンドでデビューし、
ハナマウイでも働いてくれていた小泉さんがやっているスタジオSIMPOで繁さんプリプロ終了後、
三人で飲もうか、ということでまた合流。
ちょっとまじめに繁さんの夢を聞いたりしたあと繁さんとは解散。
今度は小泉さんと二人で立ち飲み屋に入り、小泉さんはハナマウイこうしたら面白くなるんちゃう?
と真剣にアイデア出してくれました。
繁さん小泉さん然り、改めて思うのはロックコミューンにはホントに個性的な人が沢山いて、
そしていまも彼らみんなが僕の目標であり、おこがましいかもしれないけどライバルでもあり。
YOGURT-poohでデビューした時は、京都出身とか、ロックコミューン出身とかクソ食らえとずっと思っていましたが、
今も音楽の仕事をなんとか京都で続けてやっている自分としては、
改めてあそこで会った人たちとの出会いが無ければ、今の僕はいないと思った。
いっつも風呂を借りに俺の家に来て、そのうち半分住み着いてしまった当時の部長達身さん、
今も定期的に連絡をくれるもっくんこと森さん、
すごいいい曲書いていた藤原さん、
今もハナマウイに来てくれる大さん、しょうへい、いとちゅうさん、
かわいがってくれた橋田さん、
今もキセルでずっと活躍している当時はサークルでPAやっていた辻村お兄ちゃん、
YOGURT-poohの元メンバー井野とガッツくんなど、
その日話に上がった人は他にもきりがないのだが、
みんなめちゃくちゃなところがあったりの変人揃いだったけど、
少なからず俺に影響を与えてくれた。
繁さんは若いミュージシャンと接していく事に興味を持っていて、
小泉さんはエンジニアとして、スタジオオーナーとして熱い想いを語ってくれた。
最近40歳を目前にして人生の大きな転換期を感じているのだが、
そんな中で自分は一音楽人として何ができるのか、やりたいのか。
みんなにおいていかれないように、しっかりと見極めて歩んで行きたい。